「許す」より「認める」…違いを認め受け入れること【その意味を考える】

意識改革

こんにちは。

今回は「許す」より「認める」の大切さ・・・人との「違い」を受け入れることについて書こうと思います。

価値観って人それぞれ違いますよね。

でもその違う価値観が受け入れられないってこと・・・多いと思いませんか?

お互いの「違い」をどう受け入れていくのか・・・?

それには「許す」じゃなくて「認める」ことが大切・・・。

「許す」と「認める」ってどう違うのか・・・?

人との違いを認め受け入れるとどうなるのか・・・?

じっくり考えていきたいと思います。

「許す」とは

最初に「許す」ということを考えていこうと思います。

「許す」を辞書で引きます。

許す
1,不都合なことがないとして、そうすることを認める。希望や要求などを聞き入れる。
2,過失や失敗などを責めないでおく。とがめないことにする。
3,免除する。

大辞泉

こう書いてあります。

「許す」には他にも多くの意味があります。

皆さんも「許す」って言葉を使われることがあるのではないか・・・と思います。

でも今回は「認める」との違いを考えるのが主旨なので代表的な意味を辞書から引用しています。

ところでこの「許す」・・・どんな使い方をしますか?

辞書にはこんな例文が載っています。

  • 外出が許される
  • 営業を許す
  • 過ちを許す
  • 兵役を許す

「~が許される」とか「~を許す」とか・・・実生活でも良く使ったりしますよね。

辞書からの引用通り「そうすることを認める」「要求を聞き入れる」「とがめない」といった意味合いで私たちも使っています。

でも実際のところ「許す」って言葉を使う場面を考えてみると「過ち」や「失敗」などを・・・責めない・・・とがめない的に使う方が多いような・・・。

辞書からの引用「2」の意味ですね。

そんな気がしますが・・・いかがですか?

何か「やらかした」子供や部下を「許す」って感じ。

そんな文脈で使ってることの方が多い気がします。

「許す」じゃなくて「赦す」の方で使っている・・・!

だから・・・どこか「上から目線」・・・なぜか「大上段に構える」・・・そんな場面が目に浮かんできます。

こんな感じで「許す=赦す」になっても「受け入れた感・受け入れられた感」は双方に芽生えないのでは・・・。

そんな風に私は思ってしまいます。

実際に私がそうだからです。

子供を叱った時、部下にカミナリを落とした時、そして誰かと考え方が違った時・・・。

そんな時に「許す=赦す」なんて言っても双方に「受け入れた・受け入れられた」そんな納得感は芽生えない・・・。

経験上・・・私はそう思います。

「認める」とは

次に「認める」ということを考えていきましょう。

「認める」を辞書で引いてみます。

認める
1,目にとめる。存在を知覚する。気づく。
2,見て、また考えて確かにそうだと判断する。
3,正しいとして、また、かまわないとして受け入れる。

大辞泉

使い方としては

  • 人影を認める
  • 頭が良いと認める
  • 自分の非を認める

こんな感じになります。

でもこの「認める」って言葉・・・どうですか?

普段はあまり使わないような・・・そんな気もします。

使わないっていうか言葉にしないっていうか・・・。

言葉には表さずに心の中で「認める」って思うような・・・そんな気が私はします。

結果的に「認める」って状態になっているような・・・。

だから「認める」っていうのは「認める・・・と心で思う」「認められた・・・と心で感じる」・・・。

そんな使い方っていうか・・・認識っていうか・・・。

「認める」にはそんなニュアンスがあるように思います。

それは「認める」というのは「受け入れる」って感じが強いからだと・・・私は思います。

「認める=受け入れる」って意味で使っている・・・というか心で思っている・・・感じている。

言葉に表すのが苦手な日本人、感情を表に出すのを控える日本人。

そんな日本人にとって「認める=受け入れる」というのは言葉に出し難い・・・そんなところがあるのでは・・・と私は思います。

心の琴線に触れた場合は特にそう・・・。

でも「認める=受け入れる」という意味合いから考えると、双方の納得感は強いはず!

言葉に出さずとも「受け入れた感・受け入れられた感」が強い。

そう・・・「認める・認められる」は「受け入れた・受け入れられた」・・・そういった納得感が双方ともに強い・・・そう思います。

「認め合う」という感覚が双方に納得感をもたらすと・・・。

文字で伝えるのは難しいんですが・・・分かって頂けるんじゃないかと思っています。

「許す」より「認める」

「許す」と「認める」の違い

「許す」と「認める」について見てきました。

実は類語辞典で引くと「許す」「認める」ともに「受け入れる」と言い換えることができます。

言葉にすれば両方とも「受け入れる」ってことですが見てきたように、そのニュアンスには大きな違いがありますよね。

「許す」は「赦す」の感が強い。

それは「許す」にはどこか「相手が悪い・間違っている」という前提があるからだと思います。

だから「上から目線」になったり「大上段に構えたり」するんだと・・・。

「認める」はどうか?

もうお分かりですよね。

「認める」は「許す」より・・・っていうか・・・「許す」と違い「受け入れる」という意味合いが強い!

「認める」は「受け入れる」という感覚で私たちは使っているはずです。

同じ「受け入れる」という意味を持ちながらも「許す」と「認める」は大きな違いがあるんですね。

「認める」ことが大切

「許す」より「認める」・・・。

「許す」ことが大切じゃないなんて私は言いません・・・もちろん大切です。

でも「受け入れる」といった意味合いで考えれば「認める」ことの方が大切なのは言うまでもありません。

何を「認める」のか・・・何を「受け入れる」のか・・・?

  • 違い
  • 価値観
  • 考え方
  • 方法
  • プロセス

もっともっとあるでしょう。

要は「人それぞれの違い」ってことです。

人それぞれに違いがあります・・・「価値観」も違えば「考え方」も違う。

そういった「違い」をお互いが「認める=受け入れる」ことができれば一歩前に進める。

そう思います。

「認める」ことが多様性を広げる

人はそれぞれ違います。

違った「個」なのです。

その「個」の「価値観」を認め合うことができれば「多様性」は広がっていくことでしょう。

逆に言うとお互いの価値観を認め合うことができなければ「多様性」なんて広がるはずがありません。

私は「多様性」という言葉が大好きです。

その「多様性」を広げていくためにも「認める=受け入れる」ということが最重要課題だと思っています。

人それぞれの「違い」「価値観」「考え方」・・・そう「個」を認める・・・「個のあり方」を受け入れる。

そして「多様性」が広がり「個」が「自律」した社会になっていく。

理想ですね・・・。

全ては「認める」ことから始まる。

「認める」ことが人と人との繋がりを深め「多様性」が広がっていく鍵・・・そう信じています。

「note」にも記事を書いています。良かったらぜひ!

最後に

「許す」と「認める」について考えてきました。

一番大切なことは互いの価値観を認め合うことです。

違いを受け入れることです。

違いを認める・・・価値観を受け入れる・・・そのことが多様性を広げる。

もっともっと「個」を認めて受け入れる社会になれば「個」が生きやすい世の中になっていくのではないか・・・そんな風に思います。

それには「個」の「自律」も欠かせない課題だと・・・考えています。


違いを認める社会になり個が自律していく時代が来ることを願っています。

最後まで目を通してもらいありがとうございます。
また次回お会いできることを楽しみにしています。

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